読まなかった日記

(w)rite/(c)ompile or (d)ismiss

11/3(Mo) の日記

父親が弱ってきて、新しいモードで母親と話すようになると、あぁ、そういうことを考えているのか、と思わされることが増える。抜粋。

  • 他人から見て「それ筋がおかしくね?」と言いたくなることは、きょうだいの間で不問にされている。逆に言うと、きょうだいの間で「なんとなく」で済ませていることが、他人を不用に悩ませ、態度を硬化させる。
  • 毎度のことながら人は相談をするとき相談相手の話を聞かない。
  • 会話のモードを変えることが重要だ。田舎者として「なんとなく」「通じるだろう」で人を困らせて死なないためには移動しつづけなければならない。

なんと情のない記述。

「悲しい」とか「辛い」とかいうのはものすごく個人的な経験なんだから、それをそのまま「悲しい」って書くわけないじゃないですか、と思っているのだが、インターネットでやすやすと「悲しい」「辛い」を表明している人を見ると、そうでもないのかな、と、自分の頭のほうがどうかしているような気がしてくる。

親が弱るのは、想像しているよりも早い、あんまりだ。そう思った瞬間、我に返って、これはこれまで無数の世の子供が通ってきた道、なんと凡庸な、と考える。それだけならまぁ、私がちょっとひねくれているというだけの話かも知れない。しかし、あんまりだ、と思うのが真実なのと全く同じ重さで、家に帰って飯を食って一息ついたときに「あの人(父)はだいたいね…」と母との間で始まる会話も真実だ。現実のそういう複層性を知っていたら、個人的なことなんて、簡単に告白調で書けなくなると思うのだ。