読まなかった日記

(w)rite/(c)ompile or (d)ismiss

10/10(Fr) の日記

ツイッターを見ていて、そこから辿ってしまう文章を見て、これはひどい、おれに日記を書かせろ、という気分になることがときどきある。別にその文章に対する反論みたいなものではなく、こういうのが話題の記事として流通してしまうなんてどうなってるんだよおい、という気分で書きたくなるのだ。

最近では、「あなたのまわりにこんなサークルはありませんか? 危険度チェック!」みたいな主旨の文章があった。

ここ1年くらい、ボードゲームサークルの中に入り込んで、ネットワークビジネスみたいなものの勧誘をする人たちがいる、ということが話題になっていて、そのことに過敏になっている人が、ちょっと腕まくりをした文章を書いてしまうことが、ときどきあるのだ。

くだんの文章では、「あなたの通い始めたサークル、こういうことやってませんか? もし以下に挙げる特徴に当てはまるものがあれば、危険なサークルの可能性が高いですよ」という触れ込みで、「**を誘ってくる **%」のように、10個前後の特徴を危険度とともに挙げていた。

勢いづいた文章によくあることだが、項目間の関係がよくわからず(おそらくは、思いつくままに挙げてしまうのだと思うけど)、何を危険とみなしたいのかぼんやりしていた。それから、危険度ってなんだよ、という話になる。そんなものはあなたの匙加減だし、「これは危険度100%です」って言ったってあなたがそういうのが大嫌い、という情報以外何も分からないですよ、と思ってしまうわけだ。

そういうのをやるなら「**を誘ってくる :危険度☆☆」とか星取り形式にして、星の数が20以上なら危険かも知れません、程度にマイルドにするのが、拒否されず(お遊び度は上がってしまうが)読んで貰える技術だろうし、そういう工夫がブロガーの知恵というものだろ…と思うのだが、気がつくと、そう呼べる知恵など、自分の見ているインターネットのどこにも残っていないのだった。

そういえば別の話で、「ベビーカー批判」なるエントリが数日前話題だった。どあたまから「まず自己弁護しておきます」やら「自意識過剰」やら、どうにも中学生くさい単語が並んでいて、全く何かを順序立てて説明する気が感じられないから、こんなん、批判とかなんとか議論の俎上に上がる以前のゴミだろ、とおっさんは思うわけだが、ブックマークなんかを見ると、どうもあんまりそういう感じではなく、ある方面では十分にそれが話題として広まってしまうらしいのだ。そして「これはアクセス数狙いの記事に過ぎない」とか言ってたりする。真面目にとりあげるなよ。読んだはしから忘れるようなもんだろ、あんなの。

どうなっとるんだ。私の感覚が古いのか。

ボードゲームの話に戻る。

ボードゲームサークルの中に入り込んで云々…というの、誤解を生まないように説明しておかないといけない。ネットワークビジネスの人が、オープンなゲーム会にやってきて、最近始めたような人に「こういうの、僕たちも仲間内で遊んでるんですよ。こんど一緒にやりませんか?」と、プライベートな会に誘ったりするらしいのだ。オープンゲーム会を開いている側には、何の罪もない。マルチ勢、なんと卑劣な…。

いやでも、手続き的にはこれ、おかしいことをしてるわけでは、ないですよね。誘われて行った先が地雷だった、というだけで、サークルとして、そういうことが起きないようにどうしたらいいのか、ちょっとわからない。それを言うなら、オープンなゲーム会で「あなたとは気が合いそうだし、これ終わったらちょっとご飯でも食べに行きませんか? 」って異性を誘ったりするのも、その後話が進んで、ひどいことになる可能性もある。そういうのは「まぁ個人のやることですから」って扱いになってる。

対応が難しいからこそ、苛立ってしまうのは、わかる。この話題にボードゲームブロガーとして鼻息荒い方(おそらく、若いのだと思いたい)は、キャンペーンを張ろうとしたり、サークルは「マルチおことわり」宣言をすべきですよ、と息巻いたりする。まぁそれは結構なことだと思う。それを放置しておいたら、「ボードゲームってなんか怪しいセミナー誘ってくるやつのことでしょ?」ってなる可能性もあるから、サークル側は目を光らせてますよ、と明言することには、意味はあるだろう。

しかし、実際に「おことわり」を作ったとしても、それを読んだマルチの人が「そうか、じゃぁ来るのやめよう」とは思わないよね。加えて、そのことを知らなかった普通の人は「なんだ、このサークル、妙なことに巻き込まれてるのかな」と引くんじゃないかしら。

ボードゲーム会には他にもよく「麻雀をやらない」「TCGをやらない」といった禁則事項がある。これらはなぜあるのか。私の考えでは、それらは「ゲームの中と外をきちんと区別する」という原理が支えている。リアルマネーや現実社会の人間関係をゲームに持ち込まない、という約束だ。キャッシュフローゲームみたいな(あっ、書いちゃった)ゲームも、この約束に基づいて、「うちら、別にゲームで勝ったからって人生に勝つ気付きとかないっすwwwサーセンwww」という態度で、除外してるはずのものなのだった。キャッシュフローゲーム(以下、CFG)のゲーム性に言及する必要もない。一般に向けてアピールするならそのへんなんじゃないのかな。

ところが現実には、この話には、「CFGはマルチ商法のセミナーと結びついている」「マルチは悪だ」という情報がくっついて、自分たちの遊びが悪に脅かされている、という論点になっている。もちろんそれは嘘じゃないのだろうし、サークルの側だって、危ないものはこっちにこないでね、という意図でCFG禁止してる側面も大きいのだろうから、誰も「違う」とは言わないけど。

私は基本的に、ボードゲーマーというのは制度設計好きな人だと思ってるので、愛好家のかたが「キャンペーン」のような軽々しいパッチを提唱してるのを見ると、首を捻ってしまうのである。たとえば「マルチ商法まがいのゲームは当会ではお断りです」「なぜですか?」「反社会的だからです」というのは、もっともらしいが、「麻雀は当会ではお断りです」「なぜですか?」となると、ちょっと答えに窮するでしょう。答えに窮した結果「そ、それは賭博行為につながるからですよ。日本の法律で賭博は禁止されているでしょう」というのをひねり出してしまう。

そこは今日日、どうとでも言える部分だと思うんですね。外から引っ張ってくる分には、ロジックや例証など掃いて捨てるほどあるし、あらゆる立場を擁護・批判することができる。

たとえば、「いや実際にゲーム会で知り合ったCFGで幸せを掴んだ人いるよ、ソースは俺。みんなも早くラットレースから抜け出して不労所得にスイッチしないといけないよ」って言う人が出てきたら? がんばってその書き手の素性を洗って、その人がマルチの回し者だと立証しますか? もし洗っても何も出てこなかったら? きりがない、っていうかそっちはインターネットの地獄方面ですね。

ボードゲームの例会では、バックギャモンとか遊んだりするけど、あれ海外では普通に賭博の道具じゃないんですか(要出典)。でもやってる。これはなぜなのか。

「なぜXはだめでYはやってるのか」「なぜZは許せないのか」という話は、しばしばコミュニティの中で話題になる。みんなの持論を書くいい機会だから、よく燃える。しかしこういうのは、自分たちの中になにかの基準があって、それが力を発揮しているとしか言えないわけで、その基準をまず表明しないと、説得力ないよねぇ、と思うのだった。自分達の本質に対する言及がないまま「反社会的だから」「賭博だから」という、外から持ってきた理由でなんとかしてしまうの、あんまりいい筋とは思えない。

くだんのエントリは、「批判的なご意見を頂きました。私としてはかくかくしかじかの状況に危機感を感じ、云々」と説明の後、非公開になってしまった。「批判」かぁ。まぁいきなりツイッターやら何やらで広まって、知らない人に「それは違う、こういうサークルもある」(このツッコミの筋悪さもボードゲーマーとして特筆すべきであるが)と言われたら、批判って考えるよなぁ。でも昔は、そういうの、「いや、言ってることよく分からないんだけど」と、ブログ的な先輩や近所からツッコミがあって、それで居住まいを直したりしてたんじゃないかなと思うんだよねぇ。それはツッコミであって、批判じゃなかったんだけどね。

なんで突然ブログの話なんだ。簡単に言うと、「批判的なご意見」「反社会的なものは悪」「自意識過剰」みたいな単語が出てくる世界は、言いたい奴が言いたいように言える、しょーもないインターネット洗脳合戦の場でしかないし、そんなものに足をとられるのは時間の無駄だ、と思ってるから。「ベビーカー批判」のクソみたいな文体を真面目に読んで何か拾ってしまう脳が、「反社会的なものは悪」みたいな理屈を拾って振り回し、「批判的なご意見」を拾ってエントリを閉じたりすると思ってるのですよ。

グローバルな理屈なんて掃いて捨てるほどあるんだから、身の回り数人に通じそうなローカルな理屈を語ろうぜ、近所にすら通じない雑な理屈が見ず知らずの人に通じるわけないだろ。

そうは思うけれど、実際にツッコミをやってくれるご近所や先輩って今どこにいるんだ、というと…お寒いものだ。先輩の不在、近所の不在を意識するようになって長い。不在、というか、私自身の問題としては、自分がそういう方向に目を向けなくなってしまって長いだけなのだが。

そういえばはてなブログには「読者」機能というのがあった。アンテナもRSSも消滅しようとしているけど、「わたしはあなたの読者である」というのは、まともな文章を書かせる最後のモチベーションであるな、と思い出したので、ここに書いた。私も先輩をふたたび探さなければならない。