読まなかった日記

(w)rite/(c)ompile or (d)ismiss

her 世界でひとつの彼女

これは感想を書くのが難しい。どこまで突っ込んでいいかわからないし、突っ込むとうっかり自分の体験を書いてしまったり…ということがあり得る。感想を書くのに自分の体験を書きなさい、というのが読書感想文の常道らしいが、馬鹿なこと言うな。

OSのAIに恋愛感情を持ってしまう話。AIとの会話が余りに人間的でタイミングがよく、対比して人間との会話はぎこちない。この人(AI)となら全てうまくいく気がする、と思ってしまう描写はよい。

ロマンチックな話と考える向きには根本的に通じないかも知れないが、書いてみよう。主人公とサマンサの関係は、非対称で、サマンサに絶対的な主導権があるように見える(サマンサは、およそなんでも知ってる)。これは、「出会い系で出会ったサクラの女に惚れてしまう、そして、サクラであるということを自分は知っていて自分が知っていることを相手の女も知っていて、それにもかかわらず利用料金は払っている」状況に似ている。

問題は後半にあって、「この感情が仮構である」とわかってしまったら、階段をひとつのぼって、本音のために「この感情が仮構であると知っている私」という、ひとつメタな場所に行きたがるものだが、階段をのぼっても、のぼった先でまた悩むだけで、そこに本音というのは見えないのだ。だから、何度かサマンサは「考えすぎないで」と言う。

相手から「好きよ」と言われたところで、それが単なるプログラムの反応(=サクラのマニュアルに記述されている)なのか、プログラムとはいえ全体として意識と認められるものの反応(=演技とはいえそれを演じるときに心は生まれていると期待してしまう)なのか、わかることのないまま、「知ってる知ってる、サクラのきみにそんな本気になったりしないから」と言い続けてハマっていく男…。

いや、わたしは出会い系をやったことはないし、この喩えは想像だが…。風俗、もっと男女問わず平たく言うとお金を払って感情を買うサービスを利用したことがある人なら、この映画は微妙なところに触ってくるのではないかと思う。わたしは、主人公が「自分だけが客ではない」と知らされて落ち込む姿に、「おい今そこか!」と思った。

実際、日本語サブタイトルで「世界でひとつの」って言ってるわりには、サマンサが自分のものだけではないと主人公が気付くのが遅いし、これはタイトルの付け方もよくない(そこまで考えて見ない?)。見るからにクラウドOSなんだから、最初からその可能性はあるだろ。

仮構に耽溺する主人公は、そのことを元妻になじられる。でもなぁ、そういう「ことにする」仮構は、どんな関係の間にだってあるんじゃない? この映画はそこから出発していると思った。ゴールは…うーん、よくわからんが、いつか思い出すように何回か観るんじゃないかな。