読まなかった日記

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アデル、ブルーは熱い色

感想

  • 最後の1時間がよい。それまでの2時間ほとんど覚えていないくらい(いや、美しいとは思うのだけど)。
  • エマの家は、来客に生牡蛎を出す(それくらい新鮮でうまい食材が入手できる)ような階層。かたやアデルの家は、なんかあると父親の作ったボロネーゼを食ってる。育ちの違いは明らかなわけです。そしてこの小さな気まずさが、のちのちの破局の種になる。
    • 「ボロネーゼが食べたくなることうけあい」とかどこかの感想に書いてあったけど、どっかの宣伝の受け売りにしてもたいがいにせえよ、という感じ。
  • アデルの作った「家庭の味」のボロネーゼ、ホームパーティーの客が食っているところを次々に映すが、もちろんそれは「うまそう」という意味ではない。口に入れてはいるが、誰もアデルの作った料理の味なんて気にせず、芸術談義に夢中なのだ。そしてアデルは文化的な素養があるのに、教養を身に付けられなかったので、かれらの会話にくわわることができず、ホストであるのにアウェイなのである。
  • ゲスト「エゴン・シーレ、知ってるかな?」アデル「ごめんなさい、知らないな。」傍らにいたエマ「えっ、この前話したよね?」た、たまらん。
  • ゲスト「ちょっと辛いけどおいしい」た、たまらん。これ、下手な料理を作ってしまったとき言われるやつだろ。
  • かようにリアリスティックな描写が続くので、何度か観て拾っていくと、意味が何倍にも膨らむはず。
  • どんどんジェレミー・レナーになっていくレア・セドゥも素晴らしいが、いささかわかりやすすぎる感じがした。アデルの顔力がともかく映画を支えていた。ぽってりと厚い唇が半開きで、あどけなくて官能的。なんなのだあれは。
  • アデルの主観で「わかるよ…」と観ていると、最後のシーケンスで「あらっ…」となって終わる。意を決して青い服を選んで(それまでは何もしなくても世界は青かったのに)ギャラリーに出向くが、だからどうかなるわけでもない。もう私はこの人たちの世界とはかかわってないのだなぁ…と思っていると、「あなたをモデルにしたあの絵、素敵よ」「その青い服、似合ってるね」だとかなんだとか、当たり障りのないことを言われて、ますます孤独が募る。俳優やっていた男も、今では不動産屋。ま、そうだよな、と思って会場を後にする。
    • ところでこれを客観的に見ると、「エマの昔の彼女、アデルだっけ、すごい色の服を着てきたよね…なんかキョロキョロしてるなと思ってたら、すぐ帰って行っちゃったよ」「まぁ、なんというか、あの人はちょっとねぇ…エマにずっと入れ込んでたみたいだし…いちどなんかね…」という会話が交わされていることは想像に難くない。
    • つまり、最後主人公は「明菜」になってしまったのだ。ギャーーー!
    • 10年ごし(くらいじゃないかな?)の恋を描いたとも言えるし、我かくしてメンヘラ女(この言い方は好かんが)になれり、という軌跡を追ったとも言える。
    • 不動産屋の男:「この男との未来がちょっと見えたりして…ってハリウッド映画じゃないんだからんなわけないない」と思って見ていて、それはその通りだったのだが、男が最後、アデルを見送った後小走りに引き返していくのは、あれは「車を取りに行った」のではないだろうか? (だから、その後まぁなんかあるかも知れないし、ないかも知れないね、くらいのニュアンス)

ノート

パーティーでかかっている映画:「パンドラの箱

授業で使われている教材:

参考:

インタビュー