読まなかった日記

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「アクト・オブ・キリング」

これは難しい。意図してないものが画面から出てきてしまったが、ドキュメンタリー映画としてそれではカオスになってしまうため、精神分析的に「君は心の闇の蓋を開いてしまったんだよ、ね? ね?」と言わんばかりに無理矢理最後をしめたように見える。

概要

60年代インドネシアスハルト軍事独裁政権下、それまでの親共的方針は大幅に転換され、共産主義者や華僑に対する抑圧、虐殺がはじまった。

兵隊として使われたのは「プレマン」(語源:freeman)、地元のヤクザである。かれらは政権の命じるまま、共産主義者…あるいは共産主義者と疑わしい者を片っ端から殺していった。かれらの多くは、愛国的民兵組織「パンチャシラ青年団」として活動した。

200x年、当時の虐殺で「1000人殺した」とおそれられたアンワル氏は、プレマンの隠居として健在であった。彼自身、過去の虐殺の記憶に悩まされていたが、外国の撮影スタッフのすすめるまま、当時のかれらの虐殺を再現する劇映画を撮影しはじめる。

ノート

(tbd.)

感想

  • ヤクザの若頭ことヘルマンの芸達者ぶりがよい。泣きの芝居から、女形から演じてしまうウソみたいな器用さ。一応ヤクザの親分だからね。この器用さこそが、この映画のラストを導いたのではないかと思った。
  • アンワルの頭の中を「怪物」と切り捨ててしまわないように観ていると、だんだん妙な気分になってくる。
  • 1965年以前、アンワルは映画好きのチンピラであった。映画館の前でダフ屋まがいの商売をして、「食うためには何でもやった」。パンチャシラ青年団にも、なんとなく、話の流れで、加入していたのかも。クーデター後、粛正が始まると、アンワルたちは話の流れで、虐殺の実動部隊になった。話し口からそういう印象を持った。
  • 「効率を上げるために工夫した」くだりは、非常にグロテスクだが、アンワルの他の言葉を拾うと、「俺達は兵隊だった」「偉い人に言われてやった」「好きで殺したわけじゃない」「今でも当時のことが夢に出る」「俺達のことは記録に残さなきゃいけない」といったもの。かれらのヤクザの組織は怖いが、パーソナリティが特に「おそろしい」と感じる瞬間は少ない。
    • つか、忘れるのではっきり書いておくと、言ってるセリフだけとれば、戦後70年、同じこと言ってるおじいさんは日本にもいっぱいいますよね。
  • 確かに、起きた事件は異常だが、アンワル個人は、兵士として命令されるままに人を殺した人間の一人に過ぎないんじゃないか…。そう思った。
  • 自分たちの虐殺を「記録に残さなきゃいけない」というのが、狂っているようでもあり、わかるような気もする。嬉々として自分の虐殺体験を語りたいのか、と考えると、狂っている。しかし、自分たちはほとんど言われるがままに動いただけで、実際に自分がやったことが何だったのか、客観的にはわからない人間の発想として「記録しておかなければ」と考えるのは、まともにも思える。
  • こういってよければ、兵隊としていいように扱われた哀しみすら感じる。(この映画で私が最もむかつくのは、青年団の集会にやってきて「君たちはフリーマンだ!」とたき付け、相も変わらずボンクラ達を利用しつくそうとする政府高官である。)
  • そして、この映画だ。この映画は、まんまと、アンワルのぼんやり具合を利用した、とも言えるのではないか。当時のことを思い出すたびに嘔吐するように、人格をねじ曲げてゆく様を映画に撮った。(映画製作者のその態度を非難するつもりはないが、「アンワルは虐殺者だからそれくらいの報いは当然だ」という意見には、私は「そうかね」と目線を逸らすことだろう)
  • アンワルの身に起きたことを、精神分析的に知った風に論じる気はない。この映画自体が、「知った風」なのではないかと思うし、その上の感想を述べても、なんだかな、である。
  • 「拷問シーンを撮って、俺は、殺される人間の気持ちがわかったんだ」と、アンワルが話すシーンがある。客観的には「お前今更何言ってるんだよ!」というツッコミしかなかろう。いやしかし、アンワルはそういうことが言いたかったのか。そんな今更なことを敢えて言うのには、何か、彼なりの発見があったのではないか。
  • 反省した、という代わりに、神妙な顔で「わかったんだよ」というアンワルの顔から、何を発見したか読み取ることはできなかったが…少なくとも、この映画の製作者は、「いや、あなたが殺した人は本当に死にましたからね、あなたのやったのはお芝居ですからね」と身もふたもないツッコミで、映画を結末に導いて行った。
  • 映画の後半は、あらかじめシナリオが書かれていたかのようにまとめられていき、面白くない。アンワルの周りにあった、微妙なわからなさがどんどん整理されて、嘔吐する一人の老人にまで矮小化してしまったからでは、ないだろうか。
  • 映画好きの青年だった男が、映画によって、記憶とフィクションにかかわる何かの秘密を発見し、映画から蘇る記憶によって苦しめられる、奇妙な話として観た。